これって楽しいことらしい


トライアスロンって楽しいよ、とトライアスリートに言われ真に受けた私。ホントカイ。真実を探る旅、開始!
by trineko710
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プリントゴッコ

父と母はきっかり半年の差で亡くなった。父は病気が分かってから1年未満、母も2年足らずの闘病生活だった。

亡くなった当時父親は84歳、母も76歳と高齢だったので、家から旅立ちたいという親の遺志と、ご近所の方にも良いだろう、ということで、今では珍しくなったが、自宅で葬儀をした。

しかしそうなると、家の中を片づけなければならない。すると母は、父が亡くなった直後に、ものすごい勢いで父の身の回りの物を捨て出した。

私と二人の姉は、正直その様子に唖然とした。情が無いんじゃないか??と疑ったりもした。

しかし、後から分かった。時間がたつと、捨てられなくなる。子供たちだけだと、捨てられなくなる。妻だった母が、混乱の中で潔く決断してくれたから、私たち子供は後から悩まずに済んだのだ、と。

その後に亡くなった母は、死期を悟っていた。何せ、「8月14日ごろに死ぬと思うわよ」とぽつりと言って、その通りになったのだから。

そして、まだ体力が残っているうちに、娘三人と形見分けをした。洋服や、着物や、これはどうする?と整理し、姉がもらったり、捨てたりと、本人が指示し、整理した。

だからやっぱり、母が亡くなってから、捨てられずに困るものはほとんどなかった。

ところが、この前の地震で、クロゼットから飛び出してきたものがある。大きなプリントゴッコだ。

私は親孝行などほとんどしたことがなく、いつまでたっても末っ子根性が抜けず、親にも姉にも甘えてばかりだった。しかし、そんな私が年に一度、両親に頼まれてしていたことがあった。それが年賀状作りだった。

亡くなった父は几帳面で、年賀状は毎年必ず元旦に配達されるように出していた。だから、私の年賀状作りが遅れると、いつもひやひやしていた。それでもぎりぎりまで我慢し、わたしもぎりぎりまで引き延ばし、そして12月も半ばを過ぎたころ、ようやく父親の分と、母親の分の年賀状をプリントゴッコで刷り、年に一度の親孝行らしきことをしていた。

・・・しかし、情けないことに、親にとっての最後の年賀状は、私が間に合わず、姉が作ったが。

なんにせよ、プリントゴッコは、私にとっての思い出の品になった。そして、私の持ち物だったので、母が捨てることもなく、私の手元に残った。

もう、使うことはない。しかも、両親が亡くなって間もなく、メーカーはプリントゴッコ本体などの製造を中止している。そして、多色刷りをしていたので、2種類もある。場所を取るし、地震で棚から落ちてくる。

でも、捨てられなかった。今までは。

いよいよ、これを捨てる時が来たのだな、と自分に言い聞かせている。

ごみになってしまうのは、何とも言えない気持がするけれど。でも、家の中を物にあふれた危険な場所にしないために、こういうものを捨てることから始めなければいけないのだな、と思う。

きっとプリントゴッコはそれを私に伝えるために、棚の奥から落ちてきたに違いない。
f0235925_004651.jpg

隅男。太郎が死んでから、ほとんどの時間を三階のケージの中で過ごしている。ものすごく寂しいに違いない。でも、そのおかげで地震の時はしっかりケージに護られていた。これは地震の翌日、久しぶりに二階に降りて来た時の写真。

今回の大震災で、ご家族とお別れを言う時間もなく大切な方を亡くし、御遺品をがれきの中から探さなければいけない被災者とご遺族の方に心からお見舞いを申し上げるとともに、犠牲者の方のご冥福をお祈り致します。

また、今でも現地で危険を顧みず各種業務に従事してくださっている方々を心から尊敬いたします。

by trineko710 | 2011-03-17 00:06 | 片づけ | Comments(4)
Commented by もなみ at 2011-03-21 09:47 x
トライちゃん こんにちは。ご無事で何より。こっちも無事です。
おじさん・・・おばさん・・・。 大好きでした。特に、なんか飄々とした感じのおばさん すっごく好きでした。
うちも母が亡くなった時、父がものすごい勢いで 捨てました。
なるほどね、そういう意味があったのかと トライちゃんに教えてもらった気分です。

元気でよかった。
プリントゴッコお疲れ様でした。

ちなみにうちにもプリントゴッコあります。えへ。
Commented by trineko710 at 2011-03-21 22:16
>もなみさま

無事で良かったです。もなみちゃんの家のほうは、長野震源の地震でずいぶん揺れたでしょう・・・。まだまだ余震が続くので、落ち着かないね・・・。
両親のことをそんな風に言ってくれて、ありがとう。両親とも、もなみちゃんが来てくれると、にこにこして喜んでいました。冬にストーブの上にやかんをおいて、こたつの中でおしゃべりしたの、懐かしいね。

お父さんもやはりそうでしたか・・・。もなみちゃんのお母さんがいつもはつらつと仕事を家事をこなしてる姿、今でも思い出します。きりっとしていて、いつも私を暖かく受け入れてくれました。私も、大好きでした。

捨てる前に念のため、と思って調べてみたら、まだインクなどの消耗品はインターネットで売っているようです・・・。う・・・。でも、決心したんだから、捨てなきゃね。
Commented by もなみ at 2011-03-24 00:42 x
トライちゃん こんにちは。
そうだった。そうだった。うちの母も父もトライちゃんのこと大好きだった。
いろんなお友達が泊まりに来て、もなみの友達なんだか、母の友達なんだか、はたまた妹の友達なんだか、家族みんなでお友達の輪に入りたがっていたけど、
誰よりも トライちゃんの明るさと可愛さは母のお気に入りでした。
父も「トライちゃんは明太子が好きだから出してやれ」なんて、よっぽど印象的だったのか?父なりの可愛がり方だったのかも。
Commented by trineko710 at 2011-03-24 19:27
>もなみさま

そんな風に言ってくれて、ありがと。お父さん、私が明太子好きなの、気付いてくれていたの。嬉しい。お父さんにもお母さんにも、歓迎してもらった思い出しかありません。本当に懐かしい思い出。
お父さんはお元気ですか?よろしくお伝えください。
地震と原発が落ち着いたら、また会いたいね。
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