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皆様お久しぶりです。
牛です。 本当にお久しぶりです。 実は、お母さんはきっかけを失っていたそうです。 新年になり、新年用の写真も撮っていたのに、あれよあれよと言う間に松は取れ、旧正月もすぎ、寒もあけ、ああ、このまま、ご挨拶もせずに今年も終わってしまうのか・・・と諦めかけたときに(諦めるの、早くない?!)今日は、僕たちに取って大切な日だということに気づいたそうです。 そう、誰が決めたか、2月22日は猫の日だそうです。にゃんにゃんにゃんの日です。 なので、この良き日をきっかけに、ようやく皆様にご挨拶をすることに致しました。 丸牛から。 ![]() 隅丸も。 ![]() 丸夏も。 ![]() それして、うり丸と。 ![]() にゃん自力丸編からも。 ![]() 今年がたくさんの○に溢れた幸せな年になりますように心からお祈り申し上げます。 ちなみに、お母さんが正月用に撮影したのはこちらと、 ![]() こちらでございます。 ![]() 隅男が床に降りてきている。
床暖房の魅力には勝てないらしい。 くつろいで雑誌の付録の入れ物に入ることもある。でも、この入れ物は素材が柔らかく、隅男の爪が長いので、よく引っ掛けて突然焦りだし、大騒ぎしながら一人脱出劇を繰り広げている。 私はまだ隅男の爪を切れない。 でも、先週の金曜日に20秒ぐらいだっこすることができた。隅男は不思議そうな顔をしていたが、すぐに我に返ってすっ飛んで逃げて行った。 来年は、もっと長くだっこできようになるだろうか。そうしたら、爪を切ってやれる。 来年の一番の夢は、これだな。 今日の練習:夜サニーフィッシュ 1650m 最後に泳いだのはいつだろう。ようやく、泳ぎたいなあ、と思うようになった。あまりにも久しぶりで最後にはキモチワルクなったけど。 ![]() 隅男は丸隅になった。
それだけではない。 ソファーで寝るようになった。 ![]() うりとスキンシップまでするようになった。 ![]() 不可能と思えた隅男を交えた猫家族が私に癒しを与えてくれるはずだった。 しかし。 しかしだ。 うりが更に一歩踏み込んだ。 「ねえねえ、もっと仲良くなろうよ〜。ほらほらほらほら〜。」と追いかけ回した。 隅男はびびった。 そして棚男になった。 ![]() 最近は朝晩の食事のとき以外はほとんどここに住んでいる。 くつろぎも感じているらしい。 ![]() 頼むから早く降りてきてほしい。 ![]() ・・・・。 隅男が丸くなった。
太郎がいなくなって半年が過ぎたころから、他のみんなの近くにいる時間が少しずつ増えてきた。 そして、文字通り、丸くなった。 嬉しくなった。 良かったな。 ![]() これが何だか知っている人はいるだろうか。
![]() Smack-a-Mac!という。 直訳するとマック叩きだが、まあ、身代わりマックみたいなものだ。買ったのは20年くらい前だ。 なぜマックに身代わりがいったのか。それには理由がある。 私が初めてコンピューターというものを触ったのは、ハワイで大学を卒業して、コンピューターグラフィックの成人クラスのアシスタントを何回かしたときだ。コンピューターグラフィックと言っても、当時は稚拙で、操作も簡単だった。大それたことは何もできなかったが、だからこそ、コンピューターって面白いんだな、という印象を持ち、そして、ほどなくして帰国した。 日本に帰って来てから就職した。会社ですら当時はパソコンなどというものは存在せず、まだ電動タイプライターの時代だった。 もう時効だろうから言うが、会社勤めの合間に時々翻訳のアルバイトをした。そうすると、和文の訳文を体裁を整えて提出しなければいけない。あのころはワープロの全盛期だった。でも、なぜかワープロは欲しくなかった。どうせなら、英文も和文も両方ともきれいに入力できるものが欲しかった。 どこだかは忘れたが、秋葉原の店に行った。そして、それだったらマッキントッシュしかありません、と言われた。英文に強いものはあります。和文に強いものもあります。でも、両方できるソフトウェアがあるのは、マッキントッシュだけです、というのだ。 そうなのか、と思い、現物を見た。それが、写真のように長方形の箱の様なものとキーボードの組み合わせの、20年以上前の昔のマッキントッシュだった。確かMacintosh SEという名前だったと思う。 気にいった。楽しいコンピューター、という私のイメージにまさにぴったりだった。 家に持って帰り、電源を入れた。ポーンという音とともに、にっこり笑ったマックの絵が現れた。スマイルフェイスだ。写真のマック人形の顔だ。 うきうきした。 繰り返すが、20年以上前のことだ。メモリーなんて、いくつあったんだろう。その時は、起動用のものと、アプリケーションのフロッピーの二枚を、いちいちスロットに入れなければいけなかったと思う。人形の右下にある二つのスロットの絵は、まさにそれを表している。 インターネットなどもちろんない。ようやく電子メールを使いだすまであと5年以上あるときだ。ほんのときたま翻訳に使うだけ。それでも、部屋にあるのが嬉しかった。 さて、そんなに、かわいいマッキントッシュだったけど、良く壊れた。 考えてみて欲しい。ネットに接続していないのだ。なのに、突然動きが遅くなり、そして、てこでも動かなくなる。そうすると、「システムエラーです」の言葉とともに、爆弾の絵が表れる。またか、と思う。 仕方ないから再起動すると、ポーン音とともに出てくるはずのスマイルフェイスの顔が代わっている。目を閉じ、口をへの字に曲げて、悲しそうな顔をしている。サッドフェイスだ。泣きたいのは、こっちだよ、と思う。 サポートセンターなどというものは無かったので、買った店に電話をする。当時は数多くのマック専門店があった。電話をすると、「サッドフェイスですか」「あ、スマイルフェイスに代わりました」などという会話が大の大人の間で交わされる。 役立たずめ、と良く思った。 窓から投げ捨ててやりたい、と思うこともあった。でも、好きだった。 そんな時、マック専門店で写真の人形を見つけた。 なんだろう、と思って良く見ると使用説明書がついていた。 確かこんなことが書いてあったと思う。 「マックをお使いのみなさん。きっと、ときどき、かわいさ余って憎さ100倍、マックを金槌でたたき割ってやりたい、とか、窓から放り投げてやりたい、と思うことでしょう。でも、ちょっと待ってください。マックは高いです(そう、当時はべらぼうに高かった)。だから、次にマックに対する愛が憎しみ変わったとき、どうぞ、どうぞ、この身代わりマックを使ってください。たとえば、こんな使い方があります。 針をさす。踏みつける。壁に投げつける。水をかける。火あぶりにする。窓から投げる。そして、どうしても、どうしても、動かなくなったマックに対する怒りがおさまらなかったら、ハサミで切り刻んで、その後で、新しい身代わりマックを買ってください。だって、身代わりマックならお金かかりませんから。」 最初に買ったマッキントッシュから何台買い換えただろうか。貢いだようなものだ。時が経つにつれ当初の形は名残がなくなり、メモリーは増え、処理能力は少しづつ速くなった。でも、なんだかマックらしくなくなってきた。それでも離れがたかったが、いよいよ電子メールの時代が来たときに、添付ファイルがことごとく文字化けするので、遂にウィンドウズに乗り換えた。 もう、自分はマックユーザーではないのだ、と思った。身代わりマックだけは取っておいた。 ウィンドウズのマシンは便利だった。サッドフェイスはでてこなかった。でも、スマイルフェイスもなかった。そして、あの当時は、時々「不正な何かをしたので、ウィンドウズをシャットダウンします」と怒られ、私、何かしたっけ??と思った。ちょっと爆弾が懐かしくなった。 それから15年経った。15年は長い。パソコンの性能は格段に上がった。ウィンドウズも、なにか問題が起きたら、問題が起きました申し訳ありませんと謝るようになり、15年振りに買ったマックブックエアーは軽く、薄く、速く、安くなり、サッドフェイスもスマイルフェイスも爆弾も無くなり、でも、やっぱり買うとうきうきし、そして、昨日、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。 直接の知り合いでもないのに悲しくてたまらない。 実は私が初めてのマッキントッシュを買ったときは、すでにスティーブ・ジョブズ氏はアップルを追放されていたのだと知ったのはずいぶん後になってからだった。それでも、最初のうちはジョブズ氏の作ったマックの香りがした。 あの、あんまり役にたたなかったけれど、可愛かった、泣いたり笑ったりする箱を作ってくれてありがとう。 心からご冥福をお祈りします。 なでしこジャパンに一目会おうとフランクフルトに飛んできたが、入れ違いに帰国してしまった(涙)。
嘘。 ・・・でも、私も嘘ばかりついている訳ではなく、理由はともあれ、なぜかフランクフルトに来ている。 試合の日は90分過ぎても決着がつかず、しかたないのでリムジンバスの中でワンセグとパソコンを立ち上げた。そのとたんアメリカが追加点を挙げたので気絶しそうになるが、気を取り直し、奇跡を信じて応援。 PK戦では、アメリカがキックを外し、日本が決めるたびに、飛び上がって叫びそうになるがさすがにそれはまずいだろうと思い、バスの中で息を潜める。しかし、その結果「ぐう・・・。」とか「ううううむ・・・。」とか奇妙なうなり声をあげることになり、よっぽどキモチワルイ人になった。 勝った瞬間はさすがに立ち上がったが、周りを見るとインドの人たちばかりで、仕方ないのでバスが停車したときを見計らい、運転手さんに教えてあげ、二人で喜びを分かち合った。 飛行機に乗ったら、ドイツ人の機長さんが「まず始めに女子サッカーのワールドカップ優勝おめでとう」と機内放送してくれ、みんなで拍手した。 なにせ徹夜したので機内では爆睡。気持ちよく寝れた。 ちなみに家の猫は試合開始後5分で、ワンバック選手がゴールを決めそうになったときの私の叫び声で全員居間から退散。雲隠れしてしまった。あ、隅男だけしばらく残っていた。去年の今頃はまだ3階にこもりきりだったので、恐ろしさを知らなかったらしい。しかし、その後ほどなくして隅男もいなくなった。 猫たちも、私が居なくなった後、気持ちよく寝れたに違いない。 ![]() ドイツ語はさっぱりわからないが、地元紙の一面になったことだけはわかる。 本当に、心から、嬉しい。勝ってくれてありがとう。 夏子です。
最近、牛と、にゃんと、うりと、そして隅男とみんなで怒ってるんです。 お母さんが嘘をついたんです。 え、片付けが終わってないってこと?身体が縮んでないってこと?? そんなんじゃないんです。もっと、ワタシたちに直接係ることなんです。 それは、ちょうど去年の今頃でした。お母さんは、なんだかぶーぶー音のするテレビを見ながら、突然「きゃあ」とか「ぎゃあ」とか騒いで手を叩いたりするもんですから、ワタシたちはその度に本当に本当にびっくりしました。その声を聞くたびに、みんな、ソファーから転がり落ちて、避難したもんです。しまいには、ぶーぶー音が聞こえ始めたら、みんな最初から廊下に隠れたくらいです。 でも、お母さんはこう言ったんです。 「四年に一度だから、許してよ。」 ワタシたちはお母さんを信じて、許してあげることにしました。 なのに、なのに、ですよ。 最近、またうるさいんですよ!!しかも、今回はぶーぶー音がしないもんだから、みんな、油断しちゃうんです! ワタシたち、みんな、夜はお母さんのベッドで寝るんです。だいたい、牛が右側の枕元、にゃんが左、うりが脇腹の辺り、隅男とワタシはテキトーに空いてるとこに寝てるんです。 そうしたら、変な時間にテレビがつくんです。それで、お母さんはうとうとしながら見てるみたいなんです。で、寝てるのかなあ、だったら消せばいいのに、この節電の時代に、と思っていると、突然叫ぶんですよ。 ああ、1年前と同じです。しかも、寝ながら見てるくせに、悪運が強いというか、ゴール!!とかいうシーンは、必ず見てるんですよ。 で、ワタシたちは、また、ベッドから転がり落ちる訳です。牛なんて、大変ですよ。ドスッ、ドサッて音たててますから。 だから、みんなで怒ってるんです。4年に一度って言ったくせに!!って。 なんか、今晩?明日の朝?またあるみたいなんですよ。 やだなあ。 でもね、本当は、みんなで許してあげようか、とも言ってるんです。 最近お母さん、ちょっとしゅんとしてたから、良かったかなって。 ワタシたちって優しいな。 でもお母さん、飛び跳ねるのだけはやめてよ。今年の振動は、去年のよりすごいんだから。 ![]() 「仮眠を取るべきか、悩む・・・。え、どうせずっと寝ているくせに??失礼な」。 震災の日から4カ月経った。
あの日以来、私にとっての世の中は全く変わってしまった。今でも何も変わらないという人も多いだろう。でも、私にとっては前と後では、当たり前に思っていることがまったく変わってしまった。 この四ヶ月間でいろいろな感情を経験した。継続的に感じ続けている気持ちもある。少し癒されて楽になった気持ちもある。 昨日、初めて震災関係のボランティアに行った。津波で流されて、まだ持ち主が分からない大量の写真を洗浄し、乾かしてミニアルバムに入れ替えるという作業だ。 このボランティアを知ったとき、心底嬉しかった。作業は東京で行われるのだ。私も行ける。ようやくこれで何かできる。少しでも役に立てる。そう思った。 行動力のある私の友人は何名も現地に赴いて、がれきの処理をした。物資を運んでいる友人もいる。でも、私のしたことは微々たる義援金を送り、後は、被災地のことを考えるだけ。何とも言えない無力感に襲われていた。それが、震災後の気持ちの一つだ。 だから、何かできる、と思ったときに気持ちが楽になった。だから、このボランティアの機会を与えられて、心からありがたかった。だから、このボランティアは自分を助けるボランティアだった。 ずっと感じ続けていた無力感がほんの少しだけ軽くなった。 ![]() ずっと更新していなかったのに、訪ねてきてくださった皆様、そして心配してくださった皆様、ありがとうございました。
震災からしばらくして、とてもひしゃげてしまいました。落ち込んだ、というよりも、気持ちがしなびた感じでした。風船から空気が抜けて、べたっと床に延びているような感じとも言えます。 でも、ようやく少しずつ風船に空気がもどってきました。 久しぶりに自分のブログを見て、そういえばにゃんのぶんむくれた顔がずっと載っていたのだ、と気づき、ちょっとおかしくなりました。何か別の写真を探していたところ、下の写真に目がとまりました。 ハワイの話も書き終えていませんでしたが、これは私がハワイで一番好きな景色です。 ワヒアワという田舎からノースショアに向かっていく一本道の前が突然開け、海が見えます。ノースショアに行くには他にも方法がありますが、この景色が見たいので、いつも島の真ん中を突っ切っていきます。 初めて見たのは30年以上前でした。その時は道の両側に青々とサトウキビがしげり、水色の空と藍色の海に緑のサトウキビと赤い土が、まさに目に焼きつきました。 ブログ再開の一枚はこれにします。 何回かしぼんだ時の気持ちを書くかもしれません。 これからもよろしくお願い致します。 ![]() にゃんです。クイズです。
(問い) 実は、我が家ではモノのほかにも、何かが膨張し続けています。それは、何でしょう。 (答え) 1.ここだけの話ですけど、お母さんです。 2.絶対に言っちゃだめだって言われてるんだけど、お母さんです。 3.内緒だけど、お母さんです。 (正解) 正解は・・・あっ、お母さんに見つかった、えっ、ばらしたら今日のご飯抜き??・・・。お母さんがコワいので、正解は、言えません。 ![]() お母さんにやつあたりされた。 生きてます。
そして、最近、不思議な体験をしている。 昔、乾いているときは掌にすっぽり入るけれど、水をかけると元の大きさになり、そしてその後は二度と最初のようには小さくならないタオルがあった。 それと似たような体験だ。 たとえば、一つの箱に猫が二匹入っている。一匹ずつの大きさから考えたら、入るのは無理だろうと思うが入っている。そして、箱から出ると、明らかに、二匹の猫のほうが箱より大きい。 それとも似ている。 片付けをしている。 そして、収納されているモノを出している。 すると、部屋の中が更に散らかる。 まるで、水をかけたら膨らむタオルのように、収納から出して外気に触れたら膨らんだとしか思えない。 一生懸命捨てている。 でも、途中で疲れてくる。で、とりあえず元に戻そうとするが、入りきらない。 なぜだ。 そうか。やっぱり膨らんだんだ。 そうに違いない。 だから、片付けようと思えば思うほど、なぜか部屋が散らかっていくのだ。 不思議だ。 この世には科学では説明できないことがあるらしい。 そうとしか考えられない。 ![]() ゴールデンウィークが終わっちゃったんだって。 (問い)
下記の二枚の写真には、一つだけ大きな違いがあります。答えはどれでしょう。 ![]() ![]() (答え) 1. 耳。久しぶりの更新だと思ったら・・・。片付け、終わってないんでしょ。 2. 耳に違いない。久しぶりの更新だと思ったら・・・。片付け、いくらなんでもやってはいるよね。 3. 耳ですけど。久しぶりの更新だと思ったら・・・。片付け、あきらめてないよね。 (回答) 片付けしてるもん。ずっとしてるもん。これは息抜きだもん。本当だってば。 こういうのをやってみた。
キャッチコピッたー http://shindanmaker.com/8782 自分の名前を入れると、キャッチコピーが出てくる。 その結果。 「あなたのキャッチコピーは『誰にも奪うことのできない包容力! 解き放たれた野獣!!』」 野獣かい。 日替わりだというので、気を取り直して翌日もう一度やってみた。 その結果。 「あなたののキャッチコピーは『誰にも奪うことのできない恋愛力! 解き放たれた野獣!!』」 やっぱり野獣かい。 一日ではなかなか変わらないものがあるらしい。 ![]() 猫になれる日はくるのか。あ、でもこれは牛だった。 昨日の夜テレビを見ていたら、「千葉県で震度5の地震」と表示された。
え、気づかなかった、と思い、自分が神戸に居ることを思い出した。 地震後に、きわめて頻繁にある、そして、もう大丈夫かな、と思う頃にいきなりやってくる大きめの余震。その揺れを感じる度に、まだまだ油断はできないということを思い知らされる。 でも、ここ神戸では、街を行く人がなんとなくゆったりして見える。なんとなく、明るい。 義援金を募る箱はある。でも、今月の初めに来たときも、今も、東京との大きな違いを感じている。そして、それで良いのだ、と思う。それが良いのだ。 神戸は、実際に日々揺れを感じることは無い。原発からも遠い。だから、神戸を含む関西には、元気で居てほしい。 それでも、今年の秋神戸で開催される予定だった国際会議がキャンセルされるケースがあると聞く。それこそは風評被害であるので、どうか、そういうことが今後増えないようにと願う。阪神大震災のときに、計り知れない苦労を経験しているこの地域だからこそ、心からそう思う。 そして、我が家にはもう一つ余震の影響がある。 余震があると、うりが餌を食べなくなる。 実は、太郎がいなくなってほどなくしてうりが具合が悪くなった。今、治療をしているが食欲がなくなるとやせてしまう。だから、余震があるたびに、うりも私もびくびくしてしる。 もう、大きな余震は来ませんように。 でも、正直、またあるだろう、と思っている。 それならば、せめて、私が家に居るときにおきますように、と心から祈るばかりだ。 ![]() うりは今年12歳。人間でいったら60歳。いつのまにか私の年を追い抜いた。 どうかしばらくは容態が安定していますように。 (質問)
なぜ牛はわざわざ壊れかけたアマゾン箱に入っているのでしょうか。 ![]() (1) たまには四角くならないと、身体に丸いくせがつくから。 (2) アマゾン箱の恩を忘れてはならないから。 (3) たまに変わったことをしてお母さんをからかうと面白いから。 (答) ・・・・・(3)に思えてならない。 (問題) 下記の二枚の写真には1点だけ大きな違いがあります。その答えはどれでしょう。
![]() ![]() (1) ・・・足でしょう。・・・こんな誰が見てもわかる問題作るなんて、よっぽど時間をもてあましているに違いないですよね。 (2) ・・・足に決まってます。・・・こんな誰が見てもわかる問題作るなんて、あ、わかった、掃除から逃げてるんでしょう。 (3) ・・・足しかないでしょう。・・・こんな誰が見てもわかる問題作るなんて、掃除だけじゃなくて、いろんなプロジェクトからも逃げてるんでしょう。 (答え) 言いたくない。 猫を留守番させるときに見せる猫用ビデオという物があるそうだ。私は試したことはない。だいたい、家の猫は総じてテレビに興味を持たない。
唯一の例外は、極彩色の鳥が出てくるときだけだ。何年か前、「アース」という映画を見ていたら、その中の鳥に異常に反応していた。 夏子が一番テレビに敏感で、昨日も大きなオウムの様な鳥をじっと見つめていた。 でも、それ以外は全然興味がなかった。 ところが、この一カ月で夏子が学習したことがある。 それは、あの「緊急地震速報」だ。 テレビからポーンというチャイムとともに不協和音が流れる。 夏子はその音を聞くと、テレビを見つめ、そして瞬時にテーブルといすの間に身をひそめるのだ。揺れを感じる前に。 私や他の猫たちは、揺れ出してからどうしようか決める。揺れが大きめだと、にゃんやうりはテーブルの下に隠れる。牛は今のところいかなる揺れでもびくともせずに寝ている。 猫の世界でも揺れたら机の下に行くのだなあ、と思いながら、あの3月11日、机の下にもいなかった夏子は、本当に15時間もいったいどこにいたのだろう、と改めて思う。 今のところ夏子はいくら聞いても教えてくれない。 ![]() 「秘密の隠れ家どこって聞かれるけど、教えてあげないもん」by夏子 牛もすなるキャットボウルというものを試してみたが、、まだ丸夏をつくるには至っていない。 気分転換に家具を買った。
いつもは手軽に入手できるものを使っていた。 それでも良いという声もあった。 でも、本当にそれで良いのかが疑問になった。 組み立て式なので、自分で作った。 素材は段ボールだ。 作り終えて、ちゃんと役に立つのかがちょっと気になった。 どうやら気にいったようだ。 あと4つ買った方が良いのかどうか悩んでいる。 ![]() そろそろ太郎がいなくなってひと月になる。
太郎は筋金入りのボス猫だった。だが、威張り散らすことは全くなく、ただ、とことん味方を護る、芯から頼りになるボスだった。 保護してからの4年間は隅男と一つの部屋にいたため、二匹は兄弟かと思うほど仲が良かった。そして、二匹が自由に家の中を歩き回れるようにしたとき、太郎のほうは堂々とふるまったが、隅男は怖気づいて大変だった。 太郎は身体が大きく、まったく物おじしなかったので、太郎とにらめっこしてすごすごと退散するのはうりやにゃんといった、先住猫たちのほうだった。 また、誰に対しても決して自分から猫パンチをすることはなかった。そんな太郎が誰かに立ち向かっていったのは、仲間を護るときだけだった。 誰だったかは忘れたが、あるとき、三階で隅男と出くわした子がいた。うりが隅男を追いかけていたので、うりだったかもしれない。すると、隅男が怒って唸りだした。そして、その声を聞いた太郎は脱兎のごとく階段を駆け上り、すくっと立ちはだかり、ものすごい形相で相手を威嚇したのだった。 私も殴られたことがある。 夏子が窓際のカーテンで遊んでいたので、ひょいとつかんだら、うぅぅぅ、と暴れて抵抗した。そうしたら、太郎がまるでグリズリーのように身体を持ち上げ、私のすねをばしっとたたいたのだった。 私があっけにとられていたら、太郎もまずいと思ったらしい。次の瞬間に掌を返したようになり、自分が叩いたところに頭をすりすりして精いっぱい謝っていた。 そんな太郎は、ひとたびみんなと一緒に暮らすようになったら二階で過ごすのが大好きになった。ところが、隅男は怖がりなので、なかなか三階から降りてこない。そして、おぉーん、という声を出して太郎を呼ぶ。 太郎はその声を聞くとじっと三階のほうを見つめ、そして、大きな体でぴょんぴょんと隅男のもとに向かって行った。 そんなことを繰り返していたが、しばらくしたら、隅男の呼びかけに応えなくなった。 隅男がいくら呼んでも、二階でゆったりと構えている。 「隅男が呼んでるよ。」と言っても、「わかってるもん」という風情だった。 「冷たいんじゃないの?」と言っても行かない。 太郎も変わったなぁ、と思っていたら、ある日、隅男がそろそろと三階から降りてくるようになった。 そして一歩一歩階段を降り、毎日少しずつみんなに近づき、そして、最後は二匹仲良く二階でくつろぐようになった。 あれは隅男を二階に呼びよせる、太郎の戦略だったのだ、とようやくわかった。 そんな隅男だが、太郎が死んでから、また三階のケージに引きこもるようになった。昼も夜も、太郎が昔寝ていたケージのてっぺんで丸くなって寝ている。私には何もすることはできず、心配だった。 地震の日もそうだった。ただ、それは安全な場所にいることも意味したので、少しほっとした。 地震から1週間ほどたったころだろうか。隅男が太郎を探すような声で鳴くようになった。 「太郎ちゃんもういないよ。どうしたの。」と聞いても、答えが返ってくるはずもない。ただ、なぜ今頃、と不思議だった。 3日ほど続いただろうか。鳴かなくなった頃に、二階に下りてくるようになった。 不思議な気持ちがした。これも、太郎の戦略かもしれない、と素直にそう思った。 大震災の時、仲間思いの太郎はぴょんぴょんと虹の橋を渡り、しばらく隅男と一緒に居てくれたのだろうか。そして、そろそろ大丈夫、と思い、2階に下りてきたのだろうか。 この世にお化けがいるかどうか。あまりそういうことは信じていない。大体、いたら、正直怖い。 でも、太郎のお化けだったら、これからもちょくちょく来てほしいな、と思うとともに、何があっても太郎が護ってくれるような、そんな気がしている。 ![]() 太郎が入院する前々日に撮影。太郎は牛と隅男の間に、クッションのように寝ている。夏子はソファーの逆の端っこにいたので、入りきらなかった。無理をしてでも6匹一緒の写真を取っておけば良かった、と少し後悔している。 ![]() 隅男と三階にいた時。 ![]() 仲良し。 生まれて初めて「自炊」してみた。
食べる物の自炊ではない。どうやら、自分の持っている本を解体して、スキャナで取り込み、電子書籍を自作することを「自炊」というらしい。 なにしろ本が多い。前の家から引っ越してくるときに確か300冊ほど処分したはずだが、まだある。ありすぎる。 ただ、今手元に残っている本は専門書で資料の意味合いが濃いので、なかなか捨てられない。でも、気軽に持ち運べる厚さではないので、必要な時にいつも手元にあるわけではない。 この本が無くなったら、少なくとも三分の一になったらどれだけ片付くだろう。電子書籍にしたら出張中に読むこともできる。 試しに一冊作ってみた。 思ったより簡単で気に入った。新たなプロジェクトが生まれた。 先週金曜日に久しぶりに友人と会った。近所に住んでいるが、多忙なためいつもは会うのは必ず土日、しかも二~三か月前から約束をしなければ、集まれたためしがなかった。 ところが、今回は数日前の連絡で集まれた。しかも、平日に。今の私たちの業界がいかに今回の原発の影響を受けているかが分かる。 実は私は今回の震災がかなり堪えており、太郎のこともあったのでひどくエネルギーレベルが低く、こんな気持ちでいったら、みんなに迷惑ではないかという思いもあった。 でも、会いに行って良かった。 3月11日にどこにいて、家に帰るのに何時間かかったか、という話から、もちろん震災について、そして今後の時間の過ごし方まで10時間近く話し、食べ、そして飲み、家に帰ったら、なんだか身体に蓄積していた重い疲れが少し取れていたような気がした。 友達からパワーをもらったのだろう。 だから、「自炊」をする元気も出てきた。ついでに、翌日、震災後初めてまともな料理も作った。 明日からも、少しずつ、一つずつ、たまっていることを片づけて行こうと思う。 ![]() 何かというとにゃんに甘えてパワーをもらう夏子。 トライアスロンを始めて、なぜか太ってしまったという、あの件を覚えてらっしゃいますか。
本当は1月1日までに体重が戻らなかったら、このブログのタイトルを変更する予定でした。 そう、「これって太ることらしい」に。 しかし、とことん自分に甘いので、その期限を4月に延長したわけです。 報告です。 最近は忙しさにかまけてまったく練習をしていませんが、見事に減量に成功し、体重は1年前の今頃よりも減りました。 なので、タイトルは今のままです。 おまけに、ここ二日ほど猛烈に追い上げ、部屋の中は片付き、いらないものは全て捨て、見事にすっきりしました。 そして、まだ残っていた3年越しのプロジェクトBと、6年越しのプロジェクトCも、完了しました。 久しぶりに皆さんに良い報告ができ、誠に嬉しいです。今の私の気持ちは、台風の後の青空のように、すっきりと晴れ渡っています。 本当に良いものですね。 4月1日って。 ![]() 「はあ・・・。」 震災の時、多くの人がそうだったように、私も気仙沼の火災の映像を見た。火は延々と燃え盛り、まるで消えるときがこないかのようだった。そして私はその様子を、黙ってじっと見ていた。
東北に親戚はいない。なのに、誰か、気仙沼に知っている人がいるような気がしてならなかった。名前も顔も浮かばない。なぜそう思ったのか。先週になり、ようやくその訳がわかった。 私の住む目黒区は、毎年秋にさんま祭りという催しを行う。新鮮なさんまがその場で焼かれ、たいそう美味しいと、大変なにぎわいらしい。残念ながら私はいつも仕事と重なり、一度も行けたことがない。でも、そのたびに、来年こそはと思っていた。 そのさんま祭りには二種類あるということだ。そして、私の住んでいる地域にさんまを提供してくれていたのが、気仙沼の方々だった。 去年はさんまが不漁だった。テレビのニュースで、気仙沼の漁師さんが「目黒との約束だから、なんとかして約束した数を届けないと」と言いながらさんまを用意をしている姿が映っていた。 そのことを思い出した翌日、区報が届き、区がトラック二台分の支援物資を震災から間をおかずに届けたとあった。 私にも何かできないだろうか、と思っていたら丁度回覧板の束が届いた。当番なので、束ねていた輪ゴムを外したら、「友好都市気仙沼へ送る義援金箱を設置します」というお知らせが入っていた。 台を出し、そのお知らせを一番上にして隣の家に持っていった。 そして、いつもは3週間くらいかけてのんびりと帰ってくる回覧板が、今回はわずか5日で手元に戻ってきた。 近所のみんなが急いで回覧板を回す姿が目に浮かんだ。 ![]() 今日の寝子。 言葉にならない。
震災から2週間以上たったのに、いまだに身体に力が入らない。 業務が大幅にキャンセルになり、原発問題の終息が見えない中、時間だけはたっぷりある。 あれも、これも、やる時間はある。なのに、なかなか集中できない。 わずかに残っているやる気を振り絞って、物を捨てようと頑張ってはいる。 でも、なかなかはかどらない。 大量に紙と本がある勉強部屋の片付けをしながら、ネットで保安院や東電の記者会見を見るようにしている。 自分なりに、現状を把握しようと努力している。そして、記者会見のたびに、まだ先行きが見えないことを確認する。 原発の問題も、何もかも、長丁場だな、と思いながら、少しうなだれて二階に行くと、猫が寝ている。 眠りこけている猫をなでる。なでても、目を覚ましもせず熟睡をしている。 猫は日常生活に戻ったようだ。 それには、ほっとしている。 ![]() 日向ぼっこ牛。 大体毎朝ヨーグルトを食べる。
いつもぎりぎりまで寝ているので、バナナのようにすぐ剥ける果物とプルーンとナッツ、その上にヨーグルトをかけて朝食にする。 そして、その支度をしていると、必ずうりがやってくる。最近では太郎と隅男も来るようになっていた。 なぜかプレーンヨーグルトが好きなのだ。どうやら猫の中にはそういう子がいるらしい。 とくに、うりは好みがあり、あるメーカーのヨーグルトしか食べない。時々買い損ねて他のメーカーのものにすると、皿をのぞき込み、においをかいで、その後で私の顔をじーっと見る。そして、もう一度皿を見つめて、食べずに立ち去る。 ところが、毎日食べていたのにもかかわらず、震災の後、しばらく食べなかった。 まず、なぜかいつも食べているものではなく、普段はあまり食べないものが食べたくなったからだ。それらは大量のパンであったり、ジャンクフードだったり、出来合いの総菜だったりした。 そして、気がついたら、うりの好きなメーカーの物だけでなく、スーパーのヨーグルトの棚は空っぽになっていた。 先日いつも食べているメーカーのヨーグルトをたまたま見つけた。その時、自分がヨーグルトを毎朝食べていたことを思い出した。小さいサイズしかなかったが、手に取った。 少し気持ちが落ち着いてきたのだろうか。今朝、食べたくなった。 いつも通りうりと隅男が来たので、分けて食べた。貴重なヨーグルトだけど、猫の食べる量など、たかがしれている。小さじ三分の一、親指の爪ほどしか食べない。 二匹が嬉しそうに音を立てて食べている横で、ああそうだったのか、とようやく気付いた。 ヨーグルトの棚が空だったのは、買い占めではないのだ。確か、私が食べているメーカーは岩手に牧場を持っていた。震災の影響だったのだ。 そんなことにも気付かなかった自分の鈍さに呆れていたら、久しぶりに食べたからだろうか、うりと隅男がもっと欲しそうな顔をしてこちらを向いた。 しばらく食べられないかもしれないから・・・と思いながら、ふんぱつしておまけをやった。 そして、早くヨーグルトが棚を埋め尽くす日がきますように、と祈りながら、一人と二匹でしみじみと食べた。 ![]() ようやく太郎がいなくても箱に入るようになった隅男。 白状することがある。
地震当日、自宅近くで仕事だったため、まだ明るいうちに家に帰ることができた。友人が一緒で、お家に具合の悪いワンちゃんがいるというので、車で送ることにした。 その前に一瞬自宅に寄ったときに、津波の映像を見た。言葉を失った。 友人の家まで、往復20キロ強。彼女の家に近づくほどに渋滞がひどくなってきたので、後1キロほどのところで降ろし、帰路についた。その間ずっとラジオをつけており、想像を超える事態になっていることを感じた。そして、何が起きるかわからないから、ガソリンを満タンにしておくことにした。その時はガソリンスタンドはガラガラだった。 これは買い占めだったんだろうか。 外国人が早々と日本を引き上げていることを知り、地震のあった週末には、すでに業務の大幅なキャンセルを予測した。事実そうなった。そうこうするうちに、近隣の店からトイレットペーパーが消えた。 地震から一週間後、ネットショップから、トイレットペーパーが入荷しましたというメールが来た。 今後しばらく家にいる時間が大幅に増えることと、日ごろ買い置きをしないので実際に足りなくなることが予想できたので、注文することにした。 ホームページを開いてみると、ほとんどが売り切れで、ようやく見つかったのは1パック12ロールのものだけだった。貴重なガソリンを使ってわざわざ配達してもらうのに、少しでは申し訳ないような気がして、悩んだ末、2パック買った。 これは、買い占めなんだろうか。 今日、テレビを見ていたら水道水についての都庁の発表があった。 家には乳児はいないが、乳児サイズの猫がいる。どうするべきなのだろう。さんざん悩んだ挙句、今まで通り水道水を与えることにした。 大人には影響がないということで、自分のご飯もいつも通り水道水で炊いた。 でも。この先のことを考えた。万一、ミネラルウォーターが必要になったら。家には買い置きは少ししかない。猫に水をやらないわけはいかない。 咄嗟に、発表があった直後にネットショップで水を発注した。大きなサイズは全て売り切れだったので、200ミリと500ミリをそれぞれ1箱ずつ注文した。 これも、買い占めだろうか。 それとも、備えているだけだろうか。 私には、わからない。 夜になって近くのスーパーに行った。 いつも買うヘルシアがあった。いつも一度に3本買うので、いつも通り、そうした。 そうしたら、レジで「お水はおひとり様2本でお願いします」と言われた。 そうか。これは明らかに買い占めだったのか。どこかに書いてあったのだろうが、気付かなかった。 でも、これから、人に言われない場面で、何回、答えを出さなければいけないのだろうか。 瞬時に決めなければいけない場面が何回来るのだろうか。 自分勝手なのか。危機管理なのか。 答えがでないまま、自問自答をしている。 ![]() 地震後ようやく熟睡するようになった夏子。 うりです。
この前の地震があった日、お母さんは留守でした。 家の中がものすごく揺れて、本当に怖かったです。 でも、牛はさすがでした。 お母さんが家に駆け込んできたとき、のんびりとソファーに座って、「ん?」って言ったそうです。 その後も、余震というものがあっても、牛はびくともしません。相変わらず、小さな箱に入って、ぐうぐう寝ています。大物です。お母さんは、何かあったときに牛が箱にはまって動けないんじゃないかと言っています。 夏子が一番怖がりました。ずーっと出てこないので、お母さんは心配していました。 あまりにも出てこないので、お母さんはクロゼットやらなにやらから物をわさわさと出して、探し出しました。 だから、実は部屋の中は、地震直後よりもさらにひどい状態になったんです。でも、これはここだけの話にしてください。 お母さんは最近ずっと家にいます。どうしたのかな?僕たちの世界には「ニュース」も「新聞」もないから、良くわかりません。ただ、しばらく、しょっちゅう家が揺れたので、やっぱり怖かったです。でも、だんだんそれにも慣れてきました。 お母さんの友達も、家にいるそうです。ワンコという種類の家族は、それをとても喜んでいるそうです。 僕たちも、「お母さんが家にいて、嬉しいでしょ?安心でしょ?」と聞かれました。 でも、僕たち猫は、感情を表に出さないのがうりなので、いつも通りに寝ています。 そうすると、いつも通りがいいんだよね、とお母さんが言いました。 でも、本当は嬉しいんです。 、と、言いなさい、ってお母さんに言われたので、言ってみました。 ![]() チャームポイントのピンクの耳とピンクの肉球。 去年福島に行った。
このブログでも書いたけれど、トライアスロンの大会だった。猪苗代湖から会津にかけての大会だった。 試合後に、山の上にある北欧風の静かなホテルに友人と泊まった。こじんまりとしたきれいなホテルで、夕食は地元でとれた食材でフランス料理、しかもワインなどのアルコールは飲み放題だった。 ロビーには福島で取れた牛乳で作った飲むヨーグルトが冷やして置いてあり、たいそう美味しかった。 このホテルのことが気になり、ホームページにアクセスしてみた。3月14日付の最後の更新で、しばらく休業します、とあった。 スタッフの方は全員無事だった。でも、国道が陥没してしまったそうだ。 休業の連絡の前に、「3月中旬は福寿草の季節です」というメッセージと、黄色いきれいな花が一面に咲いている写真があった。 もう、福寿草は咲いただろうか。 あの、小さなホテルは、いつか再開するのだろうか。 原発の問題が終息し、復興が始まり、ホテルが再開したら、また行ってみたい。 その日が来ることを祈っている。 ![]() 父と母はきっかり半年の差で亡くなった。父は病気が分かってから1年未満、母も2年足らずの闘病生活だった。
亡くなった当時父親は84歳、母も76歳と高齢だったので、家から旅立ちたいという親の遺志と、ご近所の方にも良いだろう、ということで、今では珍しくなったが、自宅で葬儀をした。 しかしそうなると、家の中を片づけなければならない。すると母は、父が亡くなった直後に、ものすごい勢いで父の身の回りの物を捨て出した。 私と二人の姉は、正直その様子に唖然とした。情が無いんじゃないか??と疑ったりもした。 しかし、後から分かった。時間がたつと、捨てられなくなる。子供たちだけだと、捨てられなくなる。妻だった母が、混乱の中で潔く決断してくれたから、私たち子供は後から悩まずに済んだのだ、と。 その後に亡くなった母は、死期を悟っていた。何せ、「8月14日ごろに死ぬと思うわよ」とぽつりと言って、その通りになったのだから。 そして、まだ体力が残っているうちに、娘三人と形見分けをした。洋服や、着物や、これはどうする?と整理し、姉がもらったり、捨てたりと、本人が指示し、整理した。 だからやっぱり、母が亡くなってから、捨てられずに困るものはほとんどなかった。 ところが、この前の地震で、クロゼットから飛び出してきたものがある。大きなプリントゴッコだ。 私は親孝行などほとんどしたことがなく、いつまでたっても末っ子根性が抜けず、親にも姉にも甘えてばかりだった。しかし、そんな私が年に一度、両親に頼まれてしていたことがあった。それが年賀状作りだった。 亡くなった父は几帳面で、年賀状は毎年必ず元旦に配達されるように出していた。だから、私の年賀状作りが遅れると、いつもひやひやしていた。それでもぎりぎりまで我慢し、わたしもぎりぎりまで引き延ばし、そして12月も半ばを過ぎたころ、ようやく父親の分と、母親の分の年賀状をプリントゴッコで刷り、年に一度の親孝行らしきことをしていた。 ・・・しかし、情けないことに、親にとっての最後の年賀状は、私が間に合わず、姉が作ったが。 なんにせよ、プリントゴッコは、私にとっての思い出の品になった。そして、私の持ち物だったので、母が捨てることもなく、私の手元に残った。 もう、使うことはない。しかも、両親が亡くなって間もなく、メーカーはプリントゴッコ本体などの製造を中止している。そして、多色刷りをしていたので、2種類もある。場所を取るし、地震で棚から落ちてくる。 でも、捨てられなかった。今までは。 いよいよ、これを捨てる時が来たのだな、と自分に言い聞かせている。 ごみになってしまうのは、何とも言えない気持がするけれど。でも、家の中を物にあふれた危険な場所にしないために、こういうものを捨てることから始めなければいけないのだな、と思う。 きっとプリントゴッコはそれを私に伝えるために、棚の奥から落ちてきたに違いない。 ![]() 隅男。太郎が死んでから、ほとんどの時間を三階のケージの中で過ごしている。ものすごく寂しいに違いない。でも、そのおかげで地震の時はしっかりケージに護られていた。これは地震の翌日、久しぶりに二階に降りて来た時の写真。 今回の大震災で、ご家族とお別れを言う時間もなく大切な方を亡くし、御遺品をがれきの中から探さなければいけない被災者とご遺族の方に心からお見舞いを申し上げるとともに、犠牲者の方のご冥福をお祈り致します。 また、今でも現地で危険を顧みず各種業務に従事してくださっている方々を心から尊敬いたします。 ようやく確定申告が終わった。
明日が締め切りで、太郎のことや突然の地震を良く理解してくださった優しい税理士さんは、辛抱強く待ってくれた。 やっと終わったので、記憶が新しいうちに、恥をしのんで、地震直後に我が家がどんな状態だったかをお見せしようと思う。 まず、家自体の説明をすると、我が家は極小住宅の、三階建のペンシルハウス。長方形で南北の辺が長い。 地盤が弱いのか、衝撃を吸収するつくりなのか、とにかく良く揺れる。ちなみに2004年完成なので、築6年。 家の中には大きな家具はそんなにない。木でできている家具は仏壇、食器棚、本棚、ローチェストのみ。 部屋は整理整頓からは程遠く、紙と本が多すぎる。特に、確定申告中だったので、領収書を紙に張った束を箱に入れて床に積んであった。 さて、当日家に入ると、まず玄関の小窓においてあった折り畳み傘等が落ちているので嫌な予感がする。 そして、二階に上がると、まず目に入ったのがこれ。 ![]() 陶器にローズクオーツを入れて出窓に置いておいたが、もちろん落下。ところが、なぜか陶器は無傷だった。 二階のソファーには牛が悠然と座っている・・・。にゃんは少しおびえたような感じでテーブルの下にいる。うりが階段からおそるおそるのぞいている。 隅男と夏子を探しに、三階へ。 三階の廊下に積んでおいた靴の空箱(なんで置いておいたのか意味不明)は全て二階に転げ落ちている。 いつも三階のドアはストッパーをかけて、開けっ放しにしているのにドアが閉まっている。嫌な予感がしてドアを開ける。 まっさきに隅男を確認すると、三階建のケージの一番上に居て、無事。 そして、これが寝室の状態。(あまりにもむき出しだったので、ちょっと風合いを変えてあります)。 東西に大きく、長い揺れが起き、チェストの引き出しが何回も開いたり閉ったりしたことによって、本体が引っ張られて倒れたのではないかと思う。猫のトイレのカバーも取れ、チェストの上に置いておいたラジカセも、アルバムも、陶器も、全て散乱し、割れていた。 ![]() それに加え、作りつけのクロゼットの中に入っていた唯一の重いもの、使っていないガスストーブが、クロゼットのドアをこじ開けて出てきていた。 そして、こちらが書斎の惨状。誓って言うが、ここは、朝、少なくとも床は見えていた。 ![]() 本棚に積んでおいた使っていないパソコンは、もちろん全て落下、本も、書類も、積んでおいた箱も、何もかも落下。机の横の棚においてあったテレビも小物入れも、何もかも。目も当てられない。かろうじてプリンタ―やデスクトップパソコンは位置がずれていただけで済んだ。 そして、壁を見ると、何とスイッチのカバーが取れ、土台にひびが入っていた。 ![]() これが、こわれていない正常な状態。 ![]() なぜカバーが取れたのか。おそらく、壁に立てかけてあった本棚が左右に何度も揺れ、スイッチに何度も当たることによって壊れたのだろう。 二階。テーブルに置いておいたものが散乱したことはさておき、食器棚の幅の広いほうは大丈夫だったが、その半分のサイズのものは、30センチほど前に出てきていた。中ではクリスタルのグラスだけ割れていた。 ![]() これが、壊れたもの。 ![]() こんな状態だったので、本当に夏子が怪我をしたのではないかと心配したが、15時間後にようやく出てきた。 地震の時、私は高層ビルの7階にいた。机の下にもぐりながら、こんな揺れはいまだかつて経験がしたことがない、と尋常でないものを感じた。私の家も相当に揺れただろう。よっぽど恐ろしかったに違いない。 そして、今でも余震が来ると身の縮む思いがする。東京に住んでいる私ですらこんな気持ちになっているのだ。東北の被災者の方の恐怖を思うと言葉がない。 この写真を公開することによって、「こういう部屋にしてはいけない」、と少しでもみなさまのお役に立てたら、と思う一方、これを教訓に、本当に家の中をすっきりさせようと誓う。 今週後半の会議が中止になったので、片付けよう。手遅れにならないうちに。 夏子出てきました。良かった・・・・。
太郎が連れて行ってしまったかと思いました。一体どこにいたんだろう・・・。 余震が続くので怖いです。昨日は心配でほとんど寝ていなかったので、これから少し寝ます。 皆さんも、本当にお気をつけて・・・。心配して連絡してくださった方々、ありがとうございました。
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